2017-04-25 第193回国会 参議院 経済産業委員会 第7号
あれから六年たって、今回何度目かに、行くたびに、もう本当にすさまじく荒廃が進んでいまして、構内については、最初の四月十五日の一週間後、二〇一一年の四月二十二日に、当時の吉田昌郎所長の英断によって、正式な許可を得て作業員以外では初めて、専門家の端くれとしては初めて現場を見たわけです。
あれから六年たって、今回何度目かに、行くたびに、もう本当にすさまじく荒廃が進んでいまして、構内については、最初の四月十五日の一週間後、二〇一一年の四月二十二日に、当時の吉田昌郎所長の英断によって、正式な許可を得て作業員以外では初めて、専門家の端くれとしては初めて現場を見たわけです。
そして、三・一一のあの事故発生直後の福島第一原発に当時の吉田昌郎所長の正式許可を得て作業員以外で初めて入構し、専門家の端くれとして実地検分いたしました。これが二〇一一年四月二十二日のことでありました。 今日はそうした立場から質問いたします。
これは、皆さん御記憶の吉田昌郎所長、言わば憤死されたような状況で亡くなられてしまいました。亡くなった人の話を持ち出すのは御本人に確認ができないので最小限度にしたいんですけれども、しかし一点だけ申し上げれば、吉田さんが病を得られて、電話で最後にお話ししたときに、どうしても防潮堤のことが気になると、それから汚染水とセットでおっしゃいました。
この吉田昌郎所長が政府事故調に答えた記録である聴取結果書の開示をぜひ求めたい。 その際に、報道によると、官房長官が、現在、事故があったときに対応する人には、この調書を職員立ち会いのもとで開示して対応できるようにしていると述べているんですけれども、これはどういうことなんでしょうか。どういう人が対象なんでしょうか。見た人がいるんでしょうか。
冒頭、けさの通告で大変申しわけないんですけれども、ゆうべ、第一原発所長の吉田昌郎所長が所長を辞任、中身は健康上の理由ということで、辞任の発表がございました。 今、福島第一原発で三千名を超える方々が収束のために本当に日夜命をかけて働いているんです。この吉田所長の病気が放射線の被害でなった、いわゆる被曝して体調が悪くなったのか、それともそれ以外なのか、ここが私たちにとっては大事な関心事でございます。
福島第一原発の吉田昌郎所長の許可の下、現場をつぶさに拝見しまして、今、衛藤先生が御指摘になったことに絞って申しますと、今まで私たちが目にできなかった情報の一つは、海側のところがどうなっているのか、すなわち津波に直撃されたところが実際はどういう状態になっているかということでありますけれども、東電の作業員の方々と一緒にその海側に回っていきますと、津波の直撃を受けた海側の施設、これはタービン建屋を含めてそれはすさまじい
○参考人(青山繁晴君) 現場に入りましたときに吉田昌郎所長は現場のリーダーとして非常に明確なことをおっしゃってくださったんですが、今、衛藤先生が御指摘の新たな津波と地震が来たときのことを一番心配されておられて、スマトラ島沖地震ですと三か月後にまたマグニチュード八・六の地震があったわけで、私たちの災害に当てはめるとそれは六月の半ばですから、まだ来ていない。